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シベリウス:ヴァイオリン協奏曲

 このCDは、先月某オークションで(かなり高額な金額で)手に入れたばかりだが、情熱溢れる凄い演奏で深い感銘を受けた。 響きの良い透き通ったヴァイオリンの音が、強烈な哀調を伴いながら、とても表情豊かに美しく鳴り響いている。その音色の何て気高いこと! その演奏の何て綺麗なこと! ここで表現されたものは、北欧の厳しい自然であり、その中で暮らす人間の叙情である。シェリングのヴァイオリンは、雪の中を吹き抜ける風の音となり、大自然と向き合って暮らす北欧人の心となる。このCDをかけると、体中の血が熱くもえたぎり、興奮して他のことが何もできなくなる。

 個人的な熱狂はこの辺で打ち止めにして、そろそろ本題に入る。このCDに関しては、斉諧生さんが、ご自身のHPにおいて詳細なレビューを記されており(平成11年2月16日)、非常に参考になる。そこで早速、斉諧生さんの記事を引用させてもらうことにする。なお、引用中にある大束さんの文章については、 斉諧生さんのHPの過去ログでは省略されている部分も書き加えた。これは、斉諧生さんがメールで省略部分の文章を送ってくれたお陰である。

 斉諧生さんのご好意に深く感謝します。
斉諧生音盤志音盤狂日録(平成11年2月16日)より

「(略)

ジャケットには、オーケストラは「ヘルシンキ室内管」、録音場所は「ロイヤル・フェスティヴァル・ホール」とあるが、実際には、1965年9月13日、ヘルシンキ大学講堂におけるヘルシンキ・フィルの演奏のライヴ録音であるとされる。
1965年はシベリウス生誕100年に当たり、その記念公演として行われた演奏会である。これについては大束省三氏の著書『遙かなる北欧に』(三修社)に詳しい。
この日のプログラムは、
  交響曲第7番
  ヴァイオリン協奏曲
  交響曲第1
というもの。9月12・13日の両日にヘルシンキでコンサートを行い、その後、ヨーロッパ各国を巡演したそうだ。
少し長くなるが、大束氏の回想を引用する(氏は12日の演奏会を聴かれた)。

独奏はHenryk Szeryng、若々しい外国のヴァイオリニストでした。力量のすべてを駆使して、引きしぼっていた弓を一気に放ったように弾くのです。メロディーは放たれた矢のように飛翔してゆきます。しかしオーケストラの弦群はもうほとんど奔馬の群のように信じられないようなダイナミズムでソロを追い上げ、包み込むのです。美しい一頭の白馬は荒々しい奔馬の群に包まれて死力を尽くして疾走します。ヴァイオリン・ソロは本当にもう必死でした。それは音楽というよりも生命の限界に挑む戦士のようでした。私にはいまでもはっきりと、あのとき指揮台の上でバルビローリが、ちょうど親鳥が羽をひろげるように両肩を前に張りながら弦の群を抑制していた姿が浮かびます。そして同時にオーケストラの最前列、そして二列目、三列目の人たちの指揮者を見上げる燃えるようなまなざしを。それは信頼のまなざしであり、しかも抑えても抑えても生命の内奥から吹き上げてくる力の躍動をどうしても抑えることができないではありませんか、と訴えてでもいるようでした。指揮者と独奏者とオーケストラがいのちといのちをぶつけ合い、奔流となって沸騰し渦巻いていました。

実はこのCD、1992年頃に出たものだが、その時は交響曲第7番が入っている方だけを買って、こちらは見送っていた。いまさらシェリングのシベリウスでもあるまい…などと不遜なことを考えたせいだ。 その後、同曲のベスト盤とも目されることを知り、また日本シベリウス協会の研究誌『フィンランディア』第19号(1995年)に掲載された義江彰夫先生の論文「シベリウス《ヴァイオリンコンチェルト》の内実と位置」でも、この演奏が絶讃されたことから、ずっと求めていた( 以下、略)」
 以上が斉諧生さんのHPからの引用である。

 近所の公立図書館に寄って調べてみたが、日本シベリウス協会の研究誌『フィンランディア』は置いてなかった。どうしても読んでみたいが、今は多忙のため調べることができない。7月下旬になったら時間的に余裕ができるので調べてみようと思う。

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by binwa | 2003-06-14 22:51 |  ┣ シェリング

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