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退院

8月2日退院した。病院からは入院を継続してはどうかという話もあったけれども、あれこれ悩んだ結果退院した。今は、週に2〜3日の割合で外来で病院を訪れて、基本的には自宅でリハビリをしている。

入院生活にほとんどストレスはなかった。主治医や看護師、リハビリの先生たちは本当に親切で、毎日接していて楽しかった。リハビリのプログラムも充実していて、入院を続けることが早期回復につながることは疑いの余地もなかった。なので、入院を続けた方がいいことはよく分かっていた。

それでも、退院を決めたのは次の理由からだった。
1. 自宅の状況が気になって仕方なかった。
・大事な郵便を見過ごしているのではないか
・家で食べ物が腐敗しゴキブリやネズミが出ているのではないか、など
2. 病室の硬いベッドが眠りにくくて辛かった。
・自宅の柔らかいベッドで寝たかった。
3. 病院の食事の量が少なく、腹が減って仕方なかった。
・ラーメン、餃子が食べたくなった
・ビールが飲みたくなった。

自宅は、まるで泥棒が家の中を荒らし回ったような状態で、両手で松葉杖を持った我が身で片付けをするのは大変なことだった。予想通り、急須の中のお茶っ葉や、洗濯機の中の洗濯物が異臭を放っていて、帰宅した夜にゴキブリを見るなど、衛生面でも問題があった。それに、食事を自力で用意しなければならず、最初は泣きたいほど辛かった。退院などしなければ良かったとすら思った。

しかし、退院から数日が経ち、今では何もかも落ち着いた。松葉杖を使って歩き回る時間も増え、良いリハビリにもなっている。とりあえず家の中がそこそこ片付いたので、ストレスもなくなった。炎天下の中、外を歩くことも少しずつ慣れてきた。病院の中にい続けるより、精神的に自立して強くなったと思う。退院したのは正解だった。

職場復帰まで、まだしばらく時間がかかる。それがもどかしくて仕方ないが、焦ったところで脚は治らない。ジタバタせず、何が一番脚のリハビリに良いかを考えて、日々を過ごしたい。

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# by binwa | 2019-08-06 22:28 |  ┣ 入院日記 | Trackback | Comments(0)

左足を骨折して入院した件(3) 手術

時間が来て手術室に運ばれたが、ちょっと想定していないことがあった。

あらかじめ、全身麻酔と部分麻酔のどちらが良いかの希望を聞かれていたので、私は全身麻酔にしてほしい旨伝えた。なぜかというと、自分の神経質な性格では、自分の足にメスが入り、骨に金属のプレートが取り付けられ、それがボルトで固定されるまでの一連の過程を、意識がある状態で行われるのは耐えられないと思ったためである。果報は寝て待てという。こういう面倒なことのすべては、眠っている間に片付けてほしかった。

私は、朝食を食べてから出勤したのだが、胃の中に食べ物が残っていることが全身麻酔を行うことの障害となった。全身麻酔をすると、胃の中のものを嘔吐した際に、意識がないため、喉に詰まらせてしまうことがあるらしい。主治医は部分麻酔を推奨したがっている風だったけれども、私はここは譲らなかった。もう十分痛い思いをして不安もいっぱいなのに、手術中まで意識があるなんて論外だった。可能ならば全身麻酔にしてほしいとキッパリ伝え、病院側は私の希望どおり対応してくれた。

病院側がとった措置は、手術前に胃の中を空っぽにして、それから全身麻酔をかけるというものだった。鼻から長い管が挿管され、胃に達するまで押し込まれた。胃カメラを飲むのに似ているけれども、管の太さが何倍も太い気がした。鼻の奥(目と目の間の少し下あたり)や喉元の異物感がすさまじく、この気持ち悪さだけで十分吐けそうだった。そうして気持ち悪いのをなんとか我慢して管が胃に達し、胃の内容物を吸い出し、かつ、管を挿したままの状態でやっと全身麻酔の出番となった。

麻酔が口に当てられた時には、はやく意識を失いたかったが、30秒〜1分くらい意識があったと思う。鼻と喉の異物感と左足の激痛の中、吸って、吐いてを何度も繰り返すのが苦痛で、やや投げやり的にいい加減にしてくれと思った。これが麻酔で意識を失う前の最後の記憶だった。


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# by binwa | 2019-07-22 21:28 |  ┣ 入院日記 | Trackback | Comments(0)

左足を骨折して入院した件(2) 診断結果

救急車が到着したのは119番通報から10分くらい経過してからだった。私の家の前の道は非常に細く、車での移動がとても不便だ。救急車も難儀したのだと思う。到着から15分後くらいに品川区の救急病院に運ばれた。家から徒歩で4分くらいの場所にあるのだが、車だと時間がかかるのである。

病院では、到着してすぐにレントゲン撮影、CT、血液、心電図、超音波などの検査を矢継ぎ早に受け、さらに事故の状況や薬、アレルギーについての問診があった。左足が痛くてたまらないのに、レントゲン撮影やCT検査の際にはベッドからベッドに移動しなければならず、それが非常にしんどかった。なのに、レントゲンとCTは取り直しが入り、痛くて痛くて泣きそうだった。

検査の結果、左足脛骨の遠位端と腓骨の近位端を骨折していると診断された。医師によると、骨は螺旋状に折れており、腓骨の近位端については自然に治癒するので特に手当をする必要はないものの、脛骨の遠位端については放っておくと炎症を起こして足が膨れ上がり危険な状態になる恐れが高いので手術することが強く推奨された。手術の内容は、折れた部分に金属のプレートを当て、ボルトで固定するというものだった。ほかに選択肢がないようなので、手術してもらうことにした。

わすれないように補足しておくと、ふくらはぎには太い骨(脛骨)と細い骨(腓骨)がある。脛骨というのは太い方の骨、腓骨は細い方の骨である。脛骨の遠位端というのは太い骨のかかととの接着部であり、腓骨の近位端というのは、細い骨のひざとの接着部である。

病院に運ばれたのは午前9時20分頃だと思うが、実際に手術するのは午後になるということで、点滴用の針を刺した後、病室に運ばれた。この際、個室と相部屋のどちらがいいかを聞かれ、相部屋は一日1万2千円かかるということを言われた。そんな金額払いたくなかったけれども、掛け捨ての医療保険で入院一日あたり1万円を払ってもらえることを思い出したので、個室を選択した。

個室に運ばれた後で、再度医師が書類を持って病室に来てくれて、書類を元に詳細な説明をしてくれた。その後、私は各種承諾書にサインをし、手術を待った。下着類や石鹸、シャンプーなど、当座の入院生活に必要なものを家族に持ってきてもらう必要があるらしく、看護師はしきりに親に早くきてもらったほうがいいと勧めてくれた。しかし、75歳と72歳の両親に、埼玉から1時間半の時間をかけてきてもらった挙句に、2〜3時間におよぶ手術の最中、院内で待たせて疲弊させるわけにはいかないので、手術の時間が正式に確定するまで待った。親には、麻酔が切れて私が眼を覚ます時刻を伝え、その頃に来てほしいとお願いした。

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# by binwa | 2019-07-21 09:59 |  ┣ 入院日記 | Trackback | Comments(0)

左足を骨折して入院した件(1) 雀に襲われ転倒

左足を骨折して手術を受け、入院した。怪我をしたのは7月2日で、現在入院3週目である。
病院では、毎日、ベッドで寝るか、リハビリの時間に松葉杖の練習するかしか予定がなく、はっきり言って暇を持て余している。
近況報告がてら、ブログを更新することにした。

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去る7月2日の朝、通勤中に転倒して身動きが取れなくなった。

私は品川区の住宅街に住んでいて、自分の家の前には比較的大きなお寺がある。そこのお寺には雑木林があり、鳥や虫が棲息している。7月2日の朝、出勤すべく家を出たところ、目の前(右)に蜂が飛んでいるのが見えた。蜂をよけるため体を左に向けたら、今度はお寺の方からものすごい勢いで、自分の頭めがけて小鳥が飛んでくるのが見えた。おそらく雀じゃないかとおもう。これをよけるために後ろにあわてて下がったら、その日の未明に降った雨で地面が滑りやすく、うしろにひいた方の足が滑って転倒した。転倒中、頭をぶつけないよう必死で首を前に出したことを覚えている。そのおかげで、足は怪我したものの頭はなんともなかった。

これは想像だが、たぶんそのお寺を住処にしている雀が、蜂を捕食するために飛んでいるときに、タイミング悪く私がその間に入ってしまったんだと思う。間一髪の差で直撃は避けたけれども、メガネは吹っ飛ばされるし、鳥が通り過ぎる際には、その羽が自分の目の周りに触れた。もし、雀に気づかずによけなければ、耳の上あたりにクチバシが直撃して重傷を負ったんだろう。

転倒後、起きようとしたけれども、体を起こすことができなかった。左足は、太ももを動かすことはできたが、膝から下はだらんとして感覚がなかった。捻挫、骨折、アキレス腱損傷、靭帯損傷などの色んな言葉が頭をよぎり、出勤は諦めて救急車を呼んだ。救急車を待つ間、会社にメールを打って全休する旨を連絡した。また、救急隊からの折り返しの電話での指示に従い、家族に連絡を取った。

この日、特に苦労したのは事故の状況の説明についてだった。雀をよけようとして転んだという事故は相当に珍しいらしく、救急隊の人にしても医者にしても看護師にしても、それを伝えるだけだと状況が全然伝わらなかった。自分も、なんで横から飛んできた鳥が視界に入ったのか記憶がなく(右にいる蜂を避けるべく左に体を向けたことはこの日は思い出せなかった)、説明が要領を得ていなかったと思う。説明のコツを身につけるまで2〜3日要した。

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# by binwa | 2019-07-20 21:34 |  ┣ 入院日記 | Trackback | Comments(0)

シェリングの100回目の誕生日

 現在発売されている(おそらくすべての)CDの解説やWikipediaに記載されている情報を信用するのであれば、ヘンリク・シェリング(Henryk Szeryng)がこの世に生まれたのは1918年9月22日で、今日は100回目の誕生日にあたる。ただ、同時代の他のバイオリニストたち(の親やプロモーターたちが)年齢にサバを読んで生まれた年を遅くしたように、シェリングが生まれた日は長らく1921年9月22日とされていたので、昔の情報を信じるならば、今日は97回目の誕生日になる。

 バッハのシャコンヌを演奏するシェリングの映像がこの日までに世の中に公開されることを期待してきたのだけれども、そういううれしいニュースはなかった。どこかのテレビ局の倉庫の中に誰にも見つからずに保管されていることを信じたいが、シェリングの全盛期は録画用ビデオが高価なものだったから、もしかするとすべて別の映像の録画に再使用され、映像記録は永遠に失われてしまったのかもしれない。期待は持ち続けるけれども、あてのない期待である。

 それはともかく、死後30年が経つというのに、いまだに新しい音源が見つかって年に数枚新譜がでることはうれしい。私は、そのたびに通販でCDを買って、いまだにシェリングの音源のコレクターをやっている。残念ながら、すべきことが多く、音楽をゆっくり聴いて楽しむということから遠ざかっているため、未開封のまま、ただ保管しているだけのものが増えてきた。

 おそらく、私の人生の中で、今は落ち着いて仕事をすべき時期なのだと思う。それはそれで幸せなことで、今の生活を変えたいとは思わない。シェリングが演奏する音楽は自分の生活に無理なく調和させて聞くべきで、自分の生活を変えてまで聞くものではない。いずれ年を取れば、いやでも仕事はやめざるを得なくなる。シェリングへの自分の関心は、老後まで取っておけばいい。最近はそのようなことを思うことが増えてきた。


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# by binwa | 2018-09-22 21:03 |  ┣ シェリング | Trackback | Comments(2)

Henryk Szeryng : Complete Philips, Mercury & DG Recordings (44CD)

 やはり生誕100周年だけのことはある。さきほどアマゾンやHMVで検索をしていたら、44枚組のシェリング全集が1万円超で発売されるらしいことを知った。HMVに収録されている音源の紹介があったのでリンクを張っておく。


 で、モーツアルトのヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲の正規録音が初めてCD化された。この音源については、自分がまだ30歳のときにLPで演奏を聴いて書いたことがある(→当時のエントリーはこちら)。この曲だけCD化されていなかったので、ファンとして素直にうれしい。

 とはいえ、この1曲のCD欲しさにこの全集を買うかどうか。35歳までの自分ならば迷わずに買ったけれども、今は躊躇してしまう。LPも含めて持っていない音源については今でも躊躇なく買うけれども、そうやって買い溜めたCDが10枚くらい未開封のまま残っている状況で、44枚組って。

 ざっと見る限り、ドラティ指揮のチャイコフスキーの協奏曲やマルティノンの協奏曲、中南米リサイタル、シューベルトのソナチネ集など、今はどうだか知らないけれども、私が収集していたころには超絶入手困難だった版がみんな入っている。これらをみんなまとめて1万円というのは、自分がその何十倍も費やしたことを考えると非常にお買い得な内容だ。


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# by binwa | 2018-08-23 23:53 |  ┣ シェリング | Trackback | Comments(0)

シェリング生誕100年

 ヘンリク・シェリングがこの世に生を受けたのは、第一次世界大戦終結間際の1918年9月22日のことだった。いうまでもなく、2018年の今年に生誕100年目を迎える。1988年3月3日に亡くなっているので2018年は没後30年でもあるが、生誕100年のほうがキリがいいので以後は生誕100年で統一する。

 自分がシェリングの音楽に出会ったのは21年前の21歳の頃だった。私は原因不明の頭痛に悩んでいた時期があったけれども、シェリングのバッハを聴いているときは頭痛を感じずに済むという体験をしたのをきっかけにシェリングに興味を抱き、聞けば聞くほどその端正な美に惚れていき、次々とCDを買い集めていった。

 27~28歳の頃にはホームページビルダーを使ってファンのサイトを立ち上げた。あの頃は、そのサイトを通じて世界中のシェリングファンと交流したいという思いがあった。このブログの最も古い記事のいくつかは、そのファンサイトのコンテンツから持ってきたものだ。しかし、YoutubeやAmazonのコメント欄を通じた交流を見るにつけ、一私人が日本語でファンサイトを運営してもあまり意味がないと考えたことがきっかけで、そのページは閉鎖した。運営したのは7~8年間だった。

 とにかく、私は、シェリングが69歳で死んで10年たってからファンになり、以後20年以上ファンだった。最近では、Youtubeで新しい映像や音源がアップされるのを楽しみにしている。もちろん、DVDとして発売されれば絶対に買うのだが、残念ながらそういう情報は聞こえてこない。シェリングの映像は、協奏曲ではベートーヴェンやブラームス、チャイコフスキーくらいしかDVD化されてないが、ビバルディやバッハ、モーツァルト、パガニーニ、シューマン、シベリウス、ポンセなどの映像が眠っているはずである。ぜひ、この生誕100年の年に発売してほしいと思う。

余談
生誕100年を迎えた年ということ関係あるかどうかは不明だが、「Milestones of a Legend - Henrik Szeryng」という10枚組のCDが近日発売されることが発表されている。タワーレコードに収録内容が記載されているので中身を確認したけれども、すべての音源をすでに入手済みのため、私はこの10枚組を買わないことにした。せっかくの企画なのであまり文句は言いたくないけれども、ヘンリクのスペルくらいは正しく書いてほしいと思った。

私の頭痛は、首の2番目の骨がずれているために起きていたことが分かった。32歳の時に、かかりつけの中国人の整体師が一発で直してくれた。以後、一度も再発していない。

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# by binwa | 2018-01-01 11:45 | クラシック | Trackback | Comments(0)

平成最後の総選挙

いよいよ幕を閉じようとしている平成史が始まったのは1989年で、この年からしばらく、世界は激動の歴史を刻んだ。ポーランド、ハンガリー、東ドイツ、チェコスロバキア、ルーマニアといった東欧諸国で民主化が進み、ベルリンの壁が崩壊し、年末には冷戦の終結宣言まで出された。永遠に続くと思っていた米ソ超大国による冷戦が終了することなんて、全く信じられないことだった。当時中学生だった私は、西側陣営が勝った、これからは東も西も自由と民主主義なんだ、と無邪気に喜んだし、そういう楽観的な雰囲気が世界中にあふれているのをニュース番組の衛星中継から感じたものだった。1989年の大納会で株価は史上最高値を記録し、日本の経済は繁栄を極めた。どこにも何も問題がないかのようだった。

イラクがクエートに侵攻したことに端を発する湾岸戦争(1991年)は、冷戦後の秩序が機能するかどうかを占う一つの試金石だった。日本は平和ボケ気味だったけれども、国際貢献のために130億ドルに及ぶ資金をアメリカにアメリカに提供した。金しか出すことができなかった、感謝広告から日本だけ除かれた、という人もいるけれども、より肯定的に、あれこれ工夫を凝らしてどうにか資金提供という方法で協力することができた、という見方をする人もいる。賛否はさておき、当時の日本では、これが精一杯できる貢献のかたちだった。

このことが、たかだか25年前に起きたことだと思うとき、日本の政治が決して二流、三流のものではないということを感じる。かりに、25年前に北朝鮮が核兵器やミサイルの開発を終えて、日本が今と同じような危機を迎えていたとしたら、その状況は相当に悲惨だったことだろう。日本は韓国と連携できないだけでなく、日本を守るアメリカ軍に対してすら十分な協力ができなかったはずだ。日本は、湾岸戦争のときに顕在化した危険を低減するために様々な対策を講じた。そうした積み重ねのおかげで、今、北朝鮮の危機が目の前にあっても、湾岸戦争のときに見せたような右往左往をせずにすんでいる。私は、現在の危機に迷いなく対応できる内閣の存在を頼もしく思う。

民主党が選挙目的で民進党に旗印を変え、さらに選挙目的で希望に合流する。希望は、旧民主党が結党当初に行った排除の理論を持ち出し、阻害された議員が立憲民主党を作って対抗するという。掲げるスローガンは安倍一強打破という抽象的なもので、打破した後で何をするのかは誰も語らない。空虚なスローガンを掲げて大衆に訴える姿はまるで独裁者や詐欺師のようで、まったく信用できない。

政局を作り出して自ら目立つ場面を作り、騒ぎに便乗して国民にアピールするというのは、過去にもあった。直近でそれをやったのは小泉内閣だったけれども、それより前は、五十五年体制下にあって万年野党に甘んじた日本社会党が用いた手法だった。政局になれば新聞記者がはしゃいで記事が増える。しかし、そうやって五十五年体制が作り上げた日本は湾岸戦争で金を出す以外のことができなかった。今の日本があるのは、五十五年体制が崩れ、さまざまなタブーが破られた結果である。私は、希望や立憲民主党にまったく共感できない。なぜなら、彼らの政局頼みの体質には、古色蒼然とした日本社会党のカビ臭さ以外何も感じないためである。

自民党公認候補の皆さんには、日本のため、命をかける覚悟でこの選挙に臨んでほしい。



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# by binwa | 2017-10-10 23:25 |  ┣ 政治 | Trackback | Comments(0)

どこが暴言なのかさっぱりわからない

 最近の日韓関係については様々なことを思う。頭にきた記事があったので少々長いけれども引用する。
慰安婦:二階氏、合意履行を病に例え「治療に時間」
 日本の安倍晋三首相の特使として先ごろ来韓した二階俊博・自民党幹事長が、旧日本軍慰安婦をめぐる韓日合意の履行を「病」に例え、病を治療するのに時間がかかるように、韓国が慰安婦合意を着実に履行するには時間がかかるなどと発言した。
(中略)
 10-13日の日程で安倍首相の親書を持って来韓した二階氏は、10日に全羅南道木浦の金大中(キム・デジュン)ノーベル平和賞記念館で行われた歓迎式典で「両国を遠い位置に持っていこうとする勢力が韓国にも日本にも少数だが存在する。悪巧みをする連中は見つけたら撲滅しよう」と述べ、物議を醸した。
 二階氏の暴言はこれだけではない。1月7日には日本のテレビ番組で、釜山の日本総領事館前に設置された慰安婦を象徴する少女像に関連して「韓国は話し合っていくには面倒な国」「(被害者支援のために日本が拠出した)10億円を受け取った後にこういうことではおかしい」などの暴言を連発した。
 二階氏が述べたことは、日本の政治家が日本の立場で主張しただけで、「暴言」などと言われる筋合いのものではない。

 私が感じるのは、韓国における歴史歪曲がひどすぎることである。

 日韓関係を語る際に基本となるのは、両国において正式に締結・批准された日韓基本条約であり、両国ともこの条約を直視しなければならない。そして、多くの人が知っているように、被害者への個別補償については、日本代表こそそれをしようと言及したのに、韓国代表がそれらの補償は韓国政府の責任において行うことを約束し、その結果として韓国政府への一括支払いということがまとまったという経緯がある。

 この歴史を直視すれば、日本が被害者を軽んじているなどということは断じてない。韓国政府がその責任においてやると約束したから、それを信頼したに過ぎない。被害者への個別補償がきちんと実現していない責任は、日本政府にあるわけではない。

 ある韓国の女性政治家の発言によれば、国家間の合意を守るべきだという日本側の主張は「契約法の法理にすぎ」ず、「被害者をわきにおいたもの」なのだそうだ。しかし、これを読んで多くの日本人が感じることは、自分のことを棚に上げて何を言う、という程度のものでしかないのではないか。ただ日本への憎しみがむき出しになっただけで、説得力がまったくなさすぎる。

 ここまでこじれた日韓関係の修復が簡単ではないのは分かるけれども、もう少し歴史を直視し、自分たちがどんな主張を日本に対してしてきたのかくらいはわきまえてほしい。彼らがやっているのは、子供のおねだりと大差がなく、付き合いきれないものがある。


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# by binwa | 2017-06-16 00:03 |  ┣ 政治 | Trackback | Comments(0)

チャベスのヴァイオリン協奏曲

久しぶりにシェリングのことを書く。

何かの本で、シェリングが録音したチャベスのヴァイオリン協奏曲について書かれた記事を読んだことがあった。ハルトナックだったか、バッハマンだったか覚えていない。もしかすると、ポンセやハルフテルらの音楽を欧州音楽の亜流と切って捨てていたエッゲブレヒトの本だったかもしれない。

それはともかく、一度はそれを聞いてみたいと思っていた。しかし、シェリングが作曲者の指揮で残したCBSレーベルのLPは超絶入手困難盤で、私が収集に力を入れていたときは入手不可能だった。

しかし、である。

シェリングの演奏によるチャベスのヴァイオリン協奏曲の音源がYouTubeにあった。


自分がこの演奏を10年前に聞いていたら、おそらく非常に長いエントリーを記して、この演奏を聴いてどう思ったかを文字で表現しつくしたと思う。しかし、私はもはや42歳の中年で、感受性が衰え、音楽を聴いて強い印象を受けることがなくなった。ああすごい、といった感嘆でしか記せなくなった。

だから、この演奏を聴いて思ったことは、こんなことでしかない。

ああ、シェリングの和音だ、シェリングのビブラート、シェリングのアルペジオ、シェリングのアタック、シェリングのデュナーミク、シェリングの、シェリングの、シェリングの。

この演奏を聴いて、ひたすらシェリングの音盤を探し求めていた20台、30台のころの自分を思い出すことができて、懐かしくなった。

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# by binwa | 2017-06-02 23:10 |  ┣ シェリング | Trackback | Comments(0)

お気に入りの本、映画、CD、DVDのレビューなど


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