シェリングの100回目の誕生日

 現在発売されている(おそらくすべての)CDの解説やWikipediaに記載されている情報を信用するのであれば、ヘンリク・シェリング(Henryk Szeryng)がこの世に生まれたのは1918年9月22日で、今日は100回目の誕生日にあたる。ただ、同時代の他のバイオリニストたち(の親やプロモーターたちが)年齢にサバを読んで生まれた年を遅くしたように、シェリングが生まれた日は長らく1921年9月22日とされていたので、昔の情報を信じるならば、今日は97回目の誕生日になる。

 バッハのシャコンヌを演奏するシェリングの映像がこの日までに世の中に公開されることを期待してきたのだけれども、そういううれしいニュースはなかった。どこかのテレビ局の倉庫の中に誰にも見つからずに保管されていることを信じたいが、シェリングの全盛期は録画用ビデオが高価なものだったから、もしかするとすべて別の映像の録画に再使用され、映像記録は永遠に失われてしまったのかもしれない。期待は持ち続けるけれども、あてのない期待である。

 それはともかく、死後30年が経つというのに、いまだに新しい音源が見つかって年に数枚新譜がでることはうれしい。私は、そのたびに通販でCDを買って、いまだにシェリングの音源のコレクターをやっている。残念ながら、すべきことが多く、音楽をゆっくり聴いて楽しむということから遠ざかっているため、未開封のまま、ただ保管しているだけのものが増えてきた。

 おそらく、私の人生の中で、今は落ち着いて仕事をすべき時期なのだと思う。それはそれで幸せなことで、今の生活を変えたいとは思わない。シェリングが演奏する音楽は自分の生活に無理なく調和させて聞くべきで、自分の生活を変えてまで聞くものではない。いずれ年を取れば、いやでも仕事はやめざるを得なくなる。シェリングへの自分の関心は、老後まで取っておけばいい。最近はそのようなことを思うことが増えてきた。


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# by binwa | 2018-09-22 21:03 |  ┣ シェリング | Trackback | Comments(0)

Henryk Szeryng : Complete Philips, Mercury & DG Recordings (44CD)

 やはり生誕100周年だけのことはある。さきほどアマゾンやHMVで検索をしていたら、44枚組のシェリング全集が1万円超で発売されるらしいことを知った。HMVに収録されている音源の紹介があったのでリンクを張っておく。


 で、モーツアルトのヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲の正規録音が初めてCD化された。この音源については、自分がまだ30歳のときにLPで演奏を聴いて書いたことがある(→当時のエントリーはこちら)。この曲だけCD化されていなかったので、ファンとして素直にうれしい。

 とはいえ、この1曲のCD欲しさにこの全集を買うかどうか。35歳までの自分ならば迷わずに買ったけれども、今は躊躇してしまう。LPも含めて持っていない音源については今でも躊躇なく買うけれども、そうやって買い溜めたCDが10枚くらい未開封のまま残っている状況で、44枚組って。

 ざっと見る限り、ドラティ指揮のチャイコフスキーの協奏曲やマルティノンの協奏曲、中南米リサイタル、シューベルトのソナチネ集など、今はどうだか知らないけれども、私が収集していたころには超絶入手困難だった版がみんな入っている。これらをみんなまとめて1万円というのは、自分がその何十倍も費やしたことを考えると非常にお買い得な内容だ。


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# by binwa | 2018-08-23 23:53 |  ┣ シェリング | Trackback | Comments(0)

シェリング生誕100年

 ヘンリク・シェリングがこの世に生を受けたのは、第一次世界大戦終結間際の1918年9月22日のことだった。いうまでもなく、2018年の今年に生誕100年目を迎える。1988年3月3日に亡くなっているので2018年は没後30年でもあるが、生誕100年のほうがキリがいいので以後は生誕100年で統一する。

 自分がシェリングの音楽に出会ったのは21年前の21歳の頃だった。私は原因不明の頭痛に悩んでいた時期があったけれども、シェリングのバッハを聴いているときは頭痛を感じずに済むという体験をしたのをきっかけにシェリングに興味を抱き、聞けば聞くほどその端正な美に惚れていき、次々とCDを買い集めていった。

 27~28歳の頃にはホームページビルダーを使ってファンのサイトを立ち上げた。あの頃は、そのサイトを通じて世界中のシェリングファンと交流したいという思いがあった。このブログの最も古い記事のいくつかは、そのファンサイトのコンテンツから持ってきたものだ。しかし、YoutubeやAmazonのコメント欄を通じた交流を見るにつけ、一私人が日本語でファンサイトを運営してもあまり意味がないと考えたことがきっかけで、そのページは閉鎖した。運営したのは7~8年間だった。

 とにかく、私は、シェリングが69歳で死んで10年たってからファンになり、以後20年以上ファンだった。最近では、Youtubeで新しい映像や音源がアップされるのを楽しみにしている。もちろん、DVDとして発売されれば絶対に買うのだが、残念ながらそういう情報は聞こえてこない。シェリングの映像は、協奏曲ではベートーヴェンやブラームス、チャイコフスキーくらいしかDVD化されてないが、ビバルディやバッハ、モーツァルト、パガニーニ、シューマン、シベリウス、ポンセなどの映像が眠っているはずである。ぜひ、この生誕100年の年に発売してほしいと思う。

余談
生誕100年を迎えた年ということ関係あるかどうかは不明だが、「Milestones of a Legend - Henrik Szeryng」という10枚組のCDが近日発売されることが発表されている。タワーレコードに収録内容が記載されているので中身を確認したけれども、すべての音源をすでに入手済みのため、私はこの10枚組を買わないことにした。せっかくの企画なのであまり文句は言いたくないけれども、ヘンリクのスペルくらいは正しく書いてほしいと思った。

私の頭痛は、首の2番目の骨がずれているために起きていたことが分かった。32歳の時に、かかりつけの中国人の整体師が一発で直してくれた。以後、一度も再発していない。

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# by binwa | 2018-01-01 11:45 | クラシック | Trackback | Comments(0)

平成最後の総選挙

いよいよ幕を閉じようとしている平成史が始まったのは1989年で、この年からしばらく、世界は激動の歴史を刻んだ。ポーランド、ハンガリー、東ドイツ、チェコスロバキア、ルーマニアといった東欧諸国で民主化が進み、ベルリンの壁が崩壊し、年末には冷戦の終結宣言まで出された。永遠に続くと思っていた米ソ超大国による冷戦が終了することなんて、全く信じられないことだった。当時中学生だった私は、西側陣営が勝った、これからは東も西も自由と民主主義なんだ、と無邪気に喜んだし、そういう楽観的な雰囲気が世界中にあふれているのをニュース番組の衛星中継から感じたものだった。1989年の大納会で株価は史上最高値を記録し、日本の経済は繁栄を極めた。どこにも何も問題がないかのようだった。

イラクがクエートに侵攻したことに端を発する湾岸戦争(1991年)は、冷戦後の秩序が機能するかどうかを占う一つの試金石だった。日本は平和ボケ気味だったけれども、国際貢献のために130億ドルに及ぶ資金をアメリカにアメリカに提供した。金しか出すことができなかった、感謝広告から日本だけ除かれた、という人もいるけれども、より肯定的に、あれこれ工夫を凝らしてどうにか資金提供という方法で協力することができた、という見方をする人もいる。賛否はさておき、当時の日本では、これが精一杯できる貢献のかたちだった。

このことが、たかだか25年前に起きたことだと思うとき、日本の政治が決して二流、三流のものではないということを感じる。かりに、25年前に北朝鮮が核兵器やミサイルの開発を終えて、日本が今と同じような危機を迎えていたとしたら、その状況は相当に悲惨だったことだろう。日本は韓国と連携できないだけでなく、日本を守るアメリカ軍に対してすら十分な協力ができなかったはずだ。日本は、湾岸戦争のときに顕在化した危険を低減するために様々な対策を講じた。そうした積み重ねのおかげで、今、北朝鮮の危機が目の前にあっても、湾岸戦争のときに見せたような右往左往をせずにすんでいる。私は、現在の危機に迷いなく対応できる内閣の存在を頼もしく思う。

民主党が選挙目的で民進党に旗印を変え、さらに選挙目的で希望に合流する。希望は、旧民主党が結党当初に行った排除の理論を持ち出し、阻害された議員が立憲民主党を作って対抗するという。掲げるスローガンは安倍一強打破という抽象的なもので、打破した後で何をするのかは誰も語らない。空虚なスローガンを掲げて大衆に訴える姿はまるで独裁者や詐欺師のようで、まったく信用できない。

政局を作り出して自ら目立つ場面を作り、騒ぎに便乗して国民にアピールするというのは、過去にもあった。直近でそれをやったのは小泉内閣だったけれども、それより前は、五十五年体制下にあって万年野党に甘んじた日本社会党が用いた手法だった。政局になれば新聞記者がはしゃいで記事が増える。しかし、そうやって五十五年体制が作り上げた日本は湾岸戦争で金を出す以外のことができなかった。今の日本があるのは、五十五年体制が崩れ、さまざまなタブーが破られた結果である。私は、希望や立憲民主党にまったく共感できない。なぜなら、彼らの政局頼みの体質には、古色蒼然とした日本社会党のカビ臭さ以外何も感じないためである。

自民党公認候補の皆さんには、日本のため、命をかける覚悟でこの選挙に臨んでほしい。



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# by binwa | 2017-10-10 23:25 |  ┣ 政治 | Trackback | Comments(0)

どこが暴言なのかさっぱりわからない

 最近の日韓関係については様々なことを思う。頭にきた記事があったので少々長いけれども引用する。
慰安婦:二階氏、合意履行を病に例え「治療に時間」
 日本の安倍晋三首相の特使として先ごろ来韓した二階俊博・自民党幹事長が、旧日本軍慰安婦をめぐる韓日合意の履行を「病」に例え、病を治療するのに時間がかかるように、韓国が慰安婦合意を着実に履行するには時間がかかるなどと発言した。
(中略)
 10-13日の日程で安倍首相の親書を持って来韓した二階氏は、10日に全羅南道木浦の金大中(キム・デジュン)ノーベル平和賞記念館で行われた歓迎式典で「両国を遠い位置に持っていこうとする勢力が韓国にも日本にも少数だが存在する。悪巧みをする連中は見つけたら撲滅しよう」と述べ、物議を醸した。
 二階氏の暴言はこれだけではない。1月7日には日本のテレビ番組で、釜山の日本総領事館前に設置された慰安婦を象徴する少女像に関連して「韓国は話し合っていくには面倒な国」「(被害者支援のために日本が拠出した)10億円を受け取った後にこういうことではおかしい」などの暴言を連発した。
 二階氏が述べたことは、日本の政治家が日本の立場で主張しただけで、「暴言」などと言われる筋合いのものではない。

 私が感じるのは、韓国における歴史歪曲がひどすぎることである。

 日韓関係を語る際に基本となるのは、両国において正式に締結・批准された日韓基本条約であり、両国ともこの条約を直視しなければならない。そして、多くの人が知っているように、被害者への個別補償については、日本代表こそそれをしようと言及したのに、韓国代表がそれらの補償は韓国政府の責任において行うことを約束し、その結果として韓国政府への一括支払いということがまとまったという経緯がある。

 この歴史を直視すれば、日本が被害者を軽んじているなどということは断じてない。韓国政府がその責任においてやると約束したから、それを信頼したに過ぎない。被害者への個別補償がきちんと実現していない責任は、日本政府にあるわけではない。

 ある韓国の女性政治家の発言によれば、国家間の合意を守るべきだという日本側の主張は「契約法の法理にすぎ」ず、「被害者をわきにおいたもの」なのだそうだ。しかし、これを読んで多くの日本人が感じることは、自分のことを棚に上げて何を言う、という程度のものでしかないのではないか。ただ日本への憎しみがむき出しになっただけで、説得力がまったくなさすぎる。

 ここまでこじれた日韓関係の修復が簡単ではないのは分かるけれども、もう少し歴史を直視し、自分たちがどんな主張を日本に対してしてきたのかくらいはわきまえてほしい。彼らがやっているのは、子供のおねだりと大差がなく、付き合いきれないものがある。


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# by binwa | 2017-06-16 00:03 |  ┣ 政治 | Trackback | Comments(0)

チャベスのヴァイオリン協奏曲

久しぶりにシェリングのことを書く。

何かの本で、シェリングが録音したチャベスのヴァイオリン協奏曲について書かれた記事を読んだことがあった。ハルトナックだったか、バッハマンだったか覚えていない。もしかすると、ポンセやハルフテルらの音楽を欧州音楽の亜流と切って捨てていたエッゲブレヒトの本だったかもしれない。

それはともかく、一度はそれを聞いてみたいと思っていた。しかし、シェリングが作曲者の指揮で残したCBSレーベルのLPは超絶入手困難盤で、私が収集に力を入れていたときは入手不可能だった。

しかし、である。

シェリングの演奏によるチャベスのヴァイオリン協奏曲の音源がYouTubeにあった。


自分がこの演奏を10年前に聞いていたら、おそらく非常に長いエントリーを記して、この演奏を聴いてどう思ったかを文字で表現しつくしたと思う。しかし、私はもはや42歳の中年で、感受性が衰え、音楽を聴いて強い印象を受けることがなくなった。ああすごい、といった感嘆でしか記せなくなった。

だから、この演奏を聴いて思ったことは、こんなことでしかない。

ああ、シェリングの和音だ、シェリングのビブラート、シェリングのアルペジオ、シェリングのアタック、シェリングのデュナーミク、シェリングの、シェリングの、シェリングの。

この演奏を聴いて、ひたすらシェリングの音盤を探し求めていた20台、30台のころの自分を思い出すことができて、懐かしくなった。

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# by binwa | 2017-06-02 23:10 |  ┣ シェリング | Trackback | Comments(0)

勝敗

目先の勝敗に固執すると大局を見失う。他人との意見の相違や感情的なしこりなど、大局に関係ない限り徹底的に無視してよい。仮に小異を捨てることができないのであれば、次善の策として小異を残してでも大同につくことが必要だ。

大局の勝敗には徹底的に固執した方が良い。勝つことだけが人生ではないので、あえて負けることもあって良いが、その負けっぷりには注意を要する。大局に無関係な目先の優勝劣敗だけならいくらあっさり負けたとしても構わない。けれども人生を賭けた戦いでは、負けるにしても、次に繋がる負け方でありたい。

ある国の大統領がその国の国会によって弾劾され、憲法裁判所によって罷免された。その国は安全保障上の危機に直面しているというのに、いまだにアメリカの新政権と首脳会談も開けずにいる。こんな情けない顛末を見れば、外国人である私ですら問わずにはいられない。いったい、この人は国家百年のために、辞めるのと辞めないのとどちらが国や社会の役に立つかを考えたのか、できる全てのことを誠意をもって行ったのか、と。

どう見ても、自分一個人の目先の勝敗に固執し過ぎだった。そのために大局を見失い、何もかもを台無しにしてしまった。目先のことしか見ない負け方だったから、次の展望がない。蔑むように除去されたのは自業自得のなせる業で、同情に値しない。

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# by binwa | 2017-03-13 20:33 |  ┣ 政治 | Trackback | Comments(0)

歳を取ること

歳を取るというとネガティブな面が強調されがちだ。実際、体重は太り、見た目が見苦しくなり、体の節々が痛むようになるのであまりうれしくないことが増えるのは間違いない。けれども、何も悪いことばかりではない。

最大の利点は、知識や経験が増えることである。若いころは、何かが起きたとき、目の前に出来事に驚くばかりで、どのように対処したらいいのかわからずにパニックになることがあった。

しかし、歳を取ってみると、過去に何らかの方法で経験したことと比較できるので、いま直面している問題を自分なりの切り口で対応することができるようになる。自分が抱えた怒りのような感情ですら、過去に怒ったときとの比較によって相対化できる。

過去につらい思いをして苦しんだ人ほど、怒りへの耐性や対処方法が身に付き、あまり怒らなくなる。若い頃の苦労は苦しみにしか見えないことが多い。けれども、自分が直面する苦労に対して逃げずに真面目に苦しんだ人ほど、歳を取ることの利点は大きいと思う。

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# by binwa | 2017-02-25 20:37 | 日記 | Trackback | Comments(0)

沸点

水が100度で沸騰するように、液体が沸騰する際の温度を沸点という。最近では、この言葉はもともとの意味から転じて、人がどのくらいで沸騰(激怒)するかを評論する際に使われるようになった。あいつ怒りっぽいよね、と言わず、「あの人は沸点低いよね」のように。

その意味の沸点について、私はお世辞にも高いほうではなかった。30台の前半などは、ただの怒りっぽい人だったと思う。理由として、自分はやたら規則などの統制を好み、何もかもルール通りでないといけないという思い込みが強かった。もちろん、本人としては怒りを我慢して大人の対応を心掛けていたつもりだったけれども、怒る頻度が多かったことからして、我慢の程度などたかが知れていた。

腹を立てることにはパターンがあった。たいていのケースは、他人がこちらの指示通りに動かないこと、これが繰り返されることにイラつきを感じ、その過程で何かをきっかけに沸騰していた。お決まりのワンパターンで、なんでこれを防げないのか自分でも不思議だった。

人とは、自分のことばかり考えていて、決して他の存在を理解できない生き物である。自分だって、他人の目からすれば、ルールや指示に従わず、自分以外の誰かをイラつかせているに違いない。そんな自分について、不完全であっても社会に許容してもらいたいと思っているのだから、他の人の不完全さについても同様に寛容であるべきだ。これこそが、私が従うべきより大きなルールだった。

そういうルールの存在に気づいてから、わたしの沸点はずいぶん高くなった。



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# by binwa | 2017-02-23 09:09 | 日記 | Trackback | Comments(0)

自炊

 去年の暮れのエントリー(こちら)で、自分が過去に一度うつ病となり、以後自炊をやめてしまったと書いた。実はあの後思うところがあり、自炊再開の試みを始めた。

 理由は2つある。第一に、自分は料理をするのが好きだった。冷蔵庫に新鮮な野菜を満たしておいて、その日の気分で、あり合わせの野菜を選んで煮たり炒めたり生で食ったりする生活に戻りたいという希望が大きかった。第二に、外食は高くつくうえ、栄養のバランスが悪い。外食だけの貧しい食生活から抜け出したいという気持ちを抑えられなくなった。

 もちろん、前にも書いたけれども、献立を考えるときに感じる頭のストレスがうつ病の症状に似ていて、それが何によるのかわからず自分でも怖かった。あまり無理をするとうつ病が再発するかもしれないので、相当慎重に対応した。

 まず、これだけは毎年自炊しているお雑煮の期間を延ばし、料理の内容を、鶏肉と小松菜で作ったお雑煮から、徐々にジャガイモや豚肉、タラ、白菜、ニンジン、玉ねぎ、エノキ、もやし、ほうれん草などを入れたスープへと変貌させていった。次に、余った野菜を新鮮なうちにさっさと処分するためにフライパンで肉と一緒に炒めるようにした。この間、ご飯は炊かず、電子レンジで温めるご飯を買った。

 そうやって、煮るか炒めるかだけをしばらくやった後で、米を5キロ買って米櫃を満たし、2合ほど炊いた。我が家の炊飯器を稼働させるのは9年ぶりのことで、炊けたご飯を口にしたときは、思わず泣いた。これが1月下旬だった。

 我が家には、油や醤油、ソース、塩、塩コショウ、みりん、出汁などの調味料がなかった。9年前に使っていたものの残りが台所の下にそのまま残っていたけれども、もはや使えるものではなかったので、これらを順次処分して新しいものに変えた。

 料理をすることは楽しい。翌朝用に作り置きしたはずの炒め物がうますぎて結局夜のうちに食べてしまったり、満腹なのに、ついついご飯をお替りしたりということが何度かあった。一部、作り方を忘れていた料理もあったけれども、クックパッドなどのおかげで別なレシピを覚えることができたし、そうやって料理を繰り返しているうちに思い出したレシピもあった。

 料理を再び楽しめるだけでなく、なんとなく気がかりだった栄養のバランスを図ることができるようになった。外食にかかる余計な出費もなくなった。私にはこういうことが普通にうれしかった。食費については、毎月5万円近くかかっていたけれども、自炊により2万円に抑えることができた。計算上、9年間にわたり毎月3万円弱、トータルで300万円強を余計に使っていたことになる。失ったものは返らないが、さらに浪費することは防げる。その意味を前向きに受け止めたいと思う。

 慎重に様子を見ながらやれることを徐々にやったわけだけれども、この間、なんどかうつ症状を感じたことがあった。昔作れた料理を作ったら全然違う味になってしまったとき、9年前の古い調味料群を捨てなければならなかったとき、レシピが思い出せなかったときなどである。

 そういうストレスを感じたとき、自分は、大好きなみかんを大量に買って貪るように食べて気を紛らわせた。自炊は止めなかった。なぜなら、こんなことがきっかけで自炊を一度でもやめてしまうと、また自炊を再開できなくなってしまうのではないかという恐怖があったためである。幸い、うつ症状的なストレスは長くは続かず、甘いミカンで十分気が紛れてなんとかなった。

 油断は大敵だけれども、うつ病によってもたらされたネガティブな変化が、やっともとに戻ったと思う。もっと早く戻すことは可能だったかもしれないが、そんなことはどうでもいい。


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# by binwa | 2017-02-19 15:33 | 日記 | Trackback | Comments(0)

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